もし、周囲の誰かがあなたを「攻撃」してくるように感じたら、その人はあなたに何かを助けを求めているサインかもしれません。
過去に、誰かに助けを求めても助けてくれなかったその人の古傷が癒されないまま、今目の前に(たまたま)いるあなたに対して「攻撃」という形で現れている可能性もあります。
その「攻撃」をまともに受け止めて、自己防衛してしまうと、相手をはねのけたり、批判してしまったり。ましてや相手を慈しむことなんて相当に難しいものですが、そんな時こそ事象を客観視することで、自分の受容を広げるチャンスかもしれません。
相手にしてほしいこと(what)×伝え方(How)の掛け合わせで、あなたのメッセージには如何様にも色付けがされていき、ほんでもって受け取る方にもその人なりの色眼鏡を通して受け止められる。
そうやって透明だったピュアな想いや心の叫びはどんどん色が重なって。相手の心に届くころにはもう、赤や黄色や青が混ざりに混ざって、どす黒い。なんてことがよくある気がします。
自分が発信するメッセージは、なるべく透明なまま届けられるといい。「怒り」の裏側には「悲しみ」が隠れている場合があり、「嫉妬」の裏側には「憧れ」が隠れている場合があります。そして「攻撃」には「痛み」や「不安」、「SOS」なんかも。
本当の感情を知るのは怖いかもしれないけど勇気を出してピュアなまま伝えられた時に始めて扉は開くのかもしれない。
そして、メッセージを受け取る側にいる時は、自分の色眼鏡はできるだけ透明でいる方がいい。その言葉の裏側にある意図、想い、隠れた感情、ニュートラルでいればいるほど相手の痛みや心の叫びが聞こえてくるのかもしれません。
ちょっと今日一日、一人一人がそんなことに気を留めながら過ごしてみたら、世界中の人間関係の摩擦が消えていくきっかけになっていくのかもしれないですねぃ。
<ビビッて攻撃モードに入るタマオ>
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