昨年度に起きた、船戸結愛ちゃんの痛ましい虐待死。裁判の過程で、児相の対応が社会問題として浮き彫りになりましたね。
以前から児相の対応に関してはたくさんのケースで問題視されていると思いますが、まずそもそもがそこで働く人たちは、責任重大で専門的知識が必要なこの仕事に本当に就きたくてついたんでしょうか?
父親はもちろん、母親の犯した罪も許されるものではありませんが、取材で児相の対応に信頼を失い、他に助けを求めることもできず、行き場をなくして無力化してしまった心情も辛辣に語られています。
結愛ちゃんは児相職員に「ママもパパに叩かれている」と証言したのに、母親へのDV被害が見逃されたこと。自分たちの役割ではないと思ったのでしょうか。
子供の歯磨きの相談をした際も、「子供だから多めにみましょう」で終了。本当は夫が歯磨きをしないことに対する「執拗なしつけ」を収めるために詳しい助言が欲しかったのに。
「夫から結愛の体重が増えないようにしろ」と繰り返し指示されるが、ひもじい思いをさせたくないから「ご飯にこんにゃくを混ぜてもいいか」と児相職員聞いたのに、深く事情は尋ねられないままだったと。
マインドフルネスのレクチャーでも、「最後まで相手の話をただただ聞く、自分の判断やジャッジを入れない。相手に寄り添い、言葉の裏側にある心情まで理解し、共感して聞ききる」というトレーニングをしますが、
研究が進んでいるアメリカなどでは、今や医療福祉関係者はマインドフルネスのトレーニングは必須となっていて、この「相手の話をきちんと聞き、言葉の裏側にある心情まで理解する。会話を重ねてニーズを聞き取る」ということを徹底しただけで、患者さんの治癒率がなんと2倍にまで上昇しているという現状もあります。(因果関係については研究中ですが)
要は、母親の言葉選び、話し方、何かを隠そうとしているか、遠回しに質問をしているとか、しっかりと最後まで目を見て観察して聞き取れば、何か「違和感」を感じたはずなんです。
「ご飯にこんにゃくを混ぜていいか」
この質問されたら、「どうして?経済的に厳しいの?」とか、「何か機になることがあるの?」とか、会話から違和感を感じないものなのでしょうか。
母親も、「質問の理由」を省いているから聞く方も推測するのは難しいかもしれないけど、少なくとも精神や心理学的な専門知識が求められる職場であれば、相手の言葉やストーリーには細心の注意を払うはず。
一方で、引っ越しが決まった時は何度もしつこく引越し先の住所だけは聞いてきたそうで。システムに入れる義務を全うするためだったのでしょうか。
心で接して欲しい、作業ではなく。忙しくて心をなくしていては本末転倒で。マインドフルネスの概念だけでも共有する場があるといいなと思いました。
皆様良いお年をお迎えください!
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